FC2ブログ

スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

三段所想

2007年05月16日 22:05

■每天都會翻譯一些東西。
或者看考試的書,學得越來越多會發現自己越來越需要磨練。

1級真的就是小兒科的感覺也越强烈了。
那種不用自己寫的考試怎麽可能體現出一個人學習語言的真正實力呢?
拿到考翻譯證的試卷時才覺得掌握一門語言真不是件容易的事情,就像老師説的,1級只是入門,過了1級才是真正開始學習日語的開始。

現在非常的認同。

我不要虛僞的自誇也不想半罐子水就到處搖晃,也許一次考不上翻譯證,不過我是下决定一定要考到爲止,不是學這個專業一樣也能做到,甚至做得更好。而且在盡可能短的時間裏面做到,是我現在唯一的目標吧。

■就像別人不能把東西強加到我身上一樣,我也儘量不去指責任何人的生活,可無論是多親密的人,也無法完全認同吧。
有强烈的自律和很高的要求,對自己要求嚴格有時候是好事有時候也未必吧。
因爲我實在無法忍受不勞而獲,懶散推托的人,這點無論是對身邊的人還是網上的朋友都一樣,投機取巧的年紀已經過了,20多歲的人該為自己的所言所作負責不管是在什麽場合對方是什麽身份,雖然我認爲是理所當然的事情,可仍然有大把大把的人除了會吹以外就什麽都不會做。
偶爾提醒一兩次我會做,但當我認定這個人根本骨子裏面就是懶骨頭的時候,就不再會提醒也不再會把他/她當作朋友了。

■「俺とお前は違う人間に決まってるじゃねぇか。早え話が、お前がイモ食ったって、俺のケツから屁が出るか。」

人間はどんなに親しくても、所詮は他人である事情を、これほど見事に言い当てた警句は他になかろう。
誰でも人間は利己主義であるくせに、相手もまた当然に同じ人間なのだから、故に利己主義者である事実を忘れがちだ。そして自分ならとても引き受け得ないはずの難題を、平気で相手に持ちかける場合があまりにも多い。そして拒絶されたら深く怨みとし、相手を人非人の如くに思うのだから不思議だ。

相手を正確に他人であると、相互に固く思い定めてこそ、初めて友情が持続できよう。人間関係では誰に対しても、相手との間柄に即した遠慮が、必要不可欠の前提として存在する。相手がその埓を超えて来た時、最初にまず驚きによる悲しみが感じられよう。次いで怒りが生じるか否かは、相互関係の深さによって異なるにしても、少なくとも落胆に基づく悲しみの情は避け得ぬであろう。それは一人の友をついに失う辛さと淋しさを生む。

↑↑↑
考翻譯證的參考書裏面的一篇文章節選。説的很好的一段……

別把自己的事情看作是大家的事情,有時候碰到難題,遇到貴人相助是你的幸運,沒有人幫你才是現實。説到底,很多時候都是這樣,一開始有很多人在同一條路上,但慢慢走到最後剩下的只有自己了,所以怨天尤人也是沒有辦法,只能説這條路本來就是一個人走的吧。
不管同伴這個東西有沒有真僞,但他人就是他人啊,不是自己。
不能相通的想法太多,失落也太多了。能看明白上面那段話的深意,反而覺得輕鬆一點。


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://riko929.blog55.fc2.com/tb.php/300-6cdab774
    この記事へのトラックバック



    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。